KUMIKO便り

KUMIKOの番人が日々を綴ります

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2019年08月30日

高橋源一郎さんと考えるニッポン国憲法の秘密(朝日新聞記事) を読んで

先週末、須賀川の花火大会が行われました。
花火大会が終わると8月ももう終わりです。

8月は広島・長崎・終戦の日と日本中が戦争について振り返る月でもあります。

7月25日の民友新聞読者投稿欄「声」に、終戦 一ヶ月前の7月に戦死した28才の父親に、県産の銘酒を飲ませてあげたかった、という投稿に、戦争はもうこりごりです、と結んでありました。
(いわき市 松永タイ子さん)
一方、参院選で憲法改正の国会発議に必要な議席(3分の2)を維持できなかったにもかかわらず、
「憲法の議論をいよいよ本格的に進めていくべき時を迎えている」と、首相が8月13日墓参りの折に述べたという記事がありました。

そんな喧しい今月は日本国憲法について、書いてみたいと思います。

学生時代、私にとって「日本国憲法」は大切な単位取得の為の授業でした。
ですが、講義を受けた後考えが全く変わりました。

9条を擁する日本国憲法ってスバラシイ。
テストは難しくて大変でしたが、授業料を払って良かったと心から思った次第です。
だから、戦後70年以上経っても憲法ってぜんっぜん古くさくないし、素晴らしいものであることを多くの人に伝えたいとずっと思ってきました。

特にこの夏はその思いを強くしていたところ、偶然古い新聞スクラップブックから「高橋源一郎さんと考えるニッポン国憲法の秘密」※という切り抜きが出てきてちょっとびっくり。
※朝日新聞オピニオン欄(2007年2月22日付)
終戦の日に“高橋源一郎と読む「戦争の向こう側」”という番組に、昨夏に引き続き出演している高橋源一郎さんは11年前、朝日新聞にこんなことを書いていました。

ちよっと長いので途中、略させて頂きましたが、こんな切り口から、 一人でも多くの方に憲法について 考えて頂ければと思い、記事を原文のまま書き写させて頂きました。

最初に申し上げておくが、ニッポン国憲法に関して、わたしには、不動の意見なんてものはない。
現時点でのわたしのものよりまともな意見だと思えば、自分の意見を取り下げる事に、全然やぶさかではないのです。
なので、これからわたしが書く意見、もしくは考え方について「どうしようもない!」とか「バッカじゃないの!」と考える方がいらしたら、どんどん文句を言ってください。

さて、わたしは長い間、ニッポン国憲法をなかなかいいものではないかと思ってきた。
今は違う。評価を下げたって?
ノーである。逆に上がった。
古びるどころか、21世紀のいまこそぴったり、筆舌に尽くしがたいほどイケてるんじゃないかと思うようになったのである。

ところで、ニッポン国憲法といえば、最大の問題が9条であることに異存はない。
確認のために、もう一度、読んでみましょう。

【①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。】
【②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。】

この②項の保持しないことになっている「戦力」を、この国は保持している。
明かに矛盾ですねぇ。
では、この矛盾を解消する方法はないのか。
実はわたし考えてみたことがあるんです。
詳しくは書かないが、それは「自衛隊を予算ごと全部国連にプレゼントして国連軍にする」という案だ。
そうなると、自衛隊=国連軍は日本の「戦力」ではないのだから、なんの問題もない。
しかも国連軍が日本に常駐するのだから、安心この上ない。
うーん、グッドアイデア、と思っていた。

しかし、ある時、内田樹さんが「9条どうでしょう」という本に書かれた文章を読んで愕然としたのである。
そこには、憲法は矛盾しているからこそ素晴らしい、と書いてあったのだ。

―― 中略 ――

いやぁ、「矛盾」した憲法で良かったね。
でも、なぜ、こんな、類のない「矛盾」が、この国の憲法に書き込まれていたのだろう。
『憲法九条を世界遺産に』で、中沢新一さんは「憲法九条を含む日本国憲法」が、どれほど「尋常ではない」かについて、驚くべき意見を書いている。
このように。――あらゆる生命体が持っている大きな特徴、というか機能が一つある。「免疫機能」だ。
(体に細菌が入ると、やっつけるために白血球が現れる、というやつ)。
自分とは「異質な他者」が入ろうとすると排除する、この機構をあらゆる生命体は持っている。
それが「武力」だ。
ところが、日本国憲法には、その機構がない。
この国は「免疫解除原理」を持っている。そんな国は他にないのである――。

これだけでも驚くべき意見だが、中沢さんは、さらに、同じ「免疫解除原理」を持っているものが、憲法九条以外に少なくともふたつある、と書いている。
それは、本来、異物である新しい生命を、「免疫機構」を解除して慈しみ育てる「母体」と、本来、対話不能の人間と動物がコミュニケーションを持てる「神話」だ。
どちらも「異質な他者」を迎え入れることができるのである。

だが、わたしなら、そのリストに「文学」を付け加えるだろう。
カフカの『変身』を読んで「どうして人間が虫に変身するんですか。意味がぜんぜんわからない」と言われても、わたしにはわからない。
書いたカフカもわからなかっただろう。
「文学」は答えを出さない。ただ、問いかけるだけなのである。

では、なぜ、問いかけるのか。
人間というものは、おそろしいほどに怠惰な存在で、放っておくとなにも考えずに、暴走しちゃうからである。
そのために、年がら年中、問いかけ続ける必要があるからだ。
「文学」はそのために存在しているのである。

およそ60年前、二つの国の人たちが力を合わせて、ニッポンという国に、前人未到の新しい憲法を作ろうと考えた。
それまでのどんな国の憲法にもない「原理」を導入しようと考えたのである。
アメリカは勝って浮かれていた。
ニッポンは、負けて脳震盪を起こし、気絶していた。
憲法などどいう国家的原理を作る重大事なのに、どちらの国もぼんやりしていた。
憲法を作ろうとした人たちが、自分の所属するどちらの国にも気づかれず、そっと、理想の「憲法」を作るには、絶好のチャンスだったのである。

彼らは、国家の原理の中に、前例のない「矛盾」を、「自分自身を疑う」という機能を、「異質な他者」を受け入れるという機能を、本来、国家の原理とは厳しく対立する生命や神話や文学の原理に近いものを埋め込んだのだ。

ニッポン国憲法は、マグナ・カルタや「権利章典」以来の憲法の歴史に、新しいコトバを書き加えた。
指示のコトバしか知らなかった憲法に、神話や文学や哲学のレベルのコトバを付け加えた。
彼らは、来るべき世界の混乱に立ち向かうためには、そのレベルのコトバが必要だと考えた。
それが、おとなの叡智というものだ。

彼らの予感は正しかった。

宗教戦争やテロはなぜ起こるのか。
難民はなぜ彷徨い続けねばならないのか。
イジメはなぜなくならないのか。
ネットでなぜいつも誰かが血祭りに上げられるのか。

それは、人々が、無意識の中に、「異質な他者」を排除しようとするからだ。
打ち破るべきは、その「原理」なのである。

こんな考え方は空想的で、現実的な力を持たないのだろうか。

実は、逆だ。生命や神話や文学の原理の方が、国家や政治の原理よりずっと、限りある我々の
生を豊かにする現実的な力を持っていることを歴史は教えてくれる。
だが困ったことに、子どもには、おとなの叡智がわからないのだ。

如何だったでしょうか?

今週、ラジオ深夜便で「あちこちのすずさん」と題して「この世界の片隅に」の主人公・すずさんのように、戦争を懸命に生き抜いた普通の人たちの体験談を4夜連続で特集しています。
大きな反響があり、投稿が2千通を超えたそうです。

戦争体験者から直接話を聴くことができる最後の世代と言われる今、この企画によりもっと多くの人が戦争の記憶を語り継ぐきっかけになれば、冒頭の投稿のような悲劇が繰り返されることが無くなるかもしれません。
そのためにも、知ってるようで知らない
『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
と謳った憲法を多くの人に知って頂けたらと思っています。

暑さ納まる処暑も過ぎ、暦通り朝晩凌ぎやすくなりました。
KUMIKOの近くの田んぼでも稲穂が頭を垂れて、KUMIKOの近くの田んぼ風景
モミジもほんの少し色づいてきました。昨日お施主さんの処へお邪魔した折に撮った写真です。

夜中でも33度あった日が嘘のようです。
眠れることの幸せをしみじみ噛みしめてしまいます。
どうぞこの涼しさで暑さに疲れた体を整え、爽やかな季節を元気に迎えられますように。
ではまたお目にかかりましょう。
ご機嫌よろしゅう。

福島の木の家KUMIKO番人より 2019.8.30

ふくしまの木で造る木組みの家KUMIKO
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