KUMIKO便り

KUMIKOの番人が日々を綴ります

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KUMIKOの番人が日々を綴ります
2017年02月26日

「苦境にあっても 天を恨まず」 東日本大震災 七回忌の3月を前に

太陽の沈む位置がぐっと西に動き、残照を映す山の端も春らしいピンク色に変わってきました。

「2月逃げる」と言いますが、はや3月も目前。
震災から6年目の3月を迎えます。
ラジオからは卒業にまつわる曲が頻繁に流れるようになりました。

あの時、私の母校も含め、卒業式を中止した学校が日本中で多数ありました。
卒業生はどれほど残念だったことでしょう。
しかし苦渋の選択の上、実施した学校にもそれぞれのドラマがありました。

震災の翌日に行われるはずだった卒業式から10日遅れで行われた 宮城県気仙沼市の階上中学の卒業式。
卒業生総数57名の内、3名が震災の犠牲になりました。
テレビで放映された卒業生代表 梶原裕太君の答辞。
東日本大震災で被災した、全ての方々に捧げたく、ここに載せさせて頂きます。

わたくし達はこのキラキラした日差しの中を、
希望に胸ふくらませ、
通いなれた学び舎を57名揃って巣立つはずでした。

前日の11日、
一足早く渡された思い出の沢山詰まったアルバムを開き、
10数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。

東日本大震災と名付けられる天変地異が起こるとも知らずに。

自然の猛威の前には
人間の力はあまりにも無力で
わたくし達から大切なものを容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練というには むごすぎるものでした。
つらくて、悔しくて たまりません。

時計の針は14時46分を差したままです。

でも、時は確実に流れています。

生かされた者として
顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、
強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには大きすぎる代償でした。

しかし、苦境にあっても 天を恨まず
運命に耐え 助け合って生きていく事がこれからのわたくし達の使命です。

わたくし達は今それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。

学生服の袖で涙をぬぐい、嗚咽をこらえながら読み上げた答辞。
彼の慟哭は東北の地震・津波で被災した多くの児童・生徒の想いです。

この想いを胸に成長した彼らがこれからの日本、世界を背負っていってくれる事の頼もしさを
共有したいと思います。
私たち大人は彼らの成長を見守り、支えとならなければと、丹田に力を込め思った次第です。

さだまさしが「天を恨まず、助け合って生きていく事」を使命といえる15歳の彼を見て、
「被災地に応援に行けないでウツウツしていた自分が情けなくなった」とテレビで言っていました。

でも当時、船や車や家が散乱する津波の跡地で深く頭を垂れ、祈るお坊さんのバックに流れるさださんの歌“奇跡~大きな愛のように~”のYouTubeに励まされた一人がここにいます。
どんなに切なくても、あの日、命を拾った私たちは覚悟と感謝で生きて行かなくてはならない、
と勇気をもらった映像と音楽でした。

あれから6年。
七回忌の節目でもある今年、
建築工房(地球と家族を考える会事務局)の花瓶に7年前の早春に生けた沈丁花の花が、初めて開花しました。

KUMIKOで生けたあと、花が散り、葉っぱだけになった沈丁花を捨てるに忍びなく、持って来て生け直したものです。
7年間、目に見えるのは葉っぱだけでしたが、花器の中で少しずつ根っこは延び、しっかりと生き続けてくれました。

こんなことって、あるんですね。

2011年4月、桜の開花を見て、
あぁ何があっても桜は咲くのだと、
それまでぼーとしていた頭を一発ガンと殴られたような気がしたことを思い出しました。

三寒四温を繰り返しつつ 春は近づいています。
現場の陽当りの良い南斜面には福寿草が咲き始めていました。

風邪をひきやすい時期です。
体調を崩さないようにご自愛くださいね。

福島の木の家KUMIKO番人より
 

 

 

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