地震から10日経とうとしていますが、水は出ましたか?身体は、家族は、家は、職場は如何ですか?
3/6から今日20日まで啓蟄でした。
冬篭りをしていた虫たちが穴を啓いて地上に這い出してくる季節という意味だそうです。(Nプランニング二十四節気より)
“穴を啓いて地上に這い出”し終えたら余震が少なくなるかな?なんて、今は些細なことにも希望を見出そうとしています。
そういえば、夜、地震の揺れに飛び起きる回数がぐっと減った気がします。
今宵はスーパームーン満月です。
満月に願い事をすると想いが叶うという伝承を信じ、一日も早い原発事故の終結と震災からの復興を月に祈りました。
確かに、地球と月と太陽が一直線に並ぶ時、何かが引き起こされそうな気がします。
ところで、先日KUMIKOは全くの無傷と書きましたが、
知人より、阿武隈川を越えると地盤が良いと云われていると聞き、アースファミリーの一員であるサンコー地水さんに確認しました。
確かに須賀川市内は洪積世~沖積世という比較的新しい1万~200万年位前の地層の上に立っている街だそうです。(深い処にある地盤です)
それに比べ、その中心市街地から車で数分の(阿武隈川を越えてすぐの)KUMIKOの辺りは古く、先第三紀世代という2500万年以上前の強い岩盤の地層とのこと。
但し、元々は田んぼでしたので、建設時は基礎位置N値=2より2t程度の、通常の布基礎仕様では足りない柔らかい地盤だそうです。
そんな、強いとは言い難い地盤であり、盛り土をした上に建っているにも関らず、建物の内外共に何一つ傷がつかず、何も動かず、落ちなかったのは、構造の頑強さ&しなやかさに他ならないのではないでしょうか。・・自画自賛。
また一つ未来に希望が持てる種が増えましたね。
これから、さらに素材、建て方、組み方を洗練させれば、より多くの人々の役に立つことは間違いありません。
今、未曾有の大災害で大変な時ですが、こんな時こそ必ず明日は来ると信じて、日々できることから着実にやっていきましょう。
写真は地震翌日に撮ったKUMIKOから西に見える磐梯山です。
奥に頂きが左右二つ見えますが、電信柱の写っている中央の窪みが、かつて小磐梯といわれ約120年前(明治21年)に大噴火して吹き飛んだ跡です。その時の土石流によって堰き止められた長瀬川が桧原湖や五色沼などの湖沼群を誕生させたことにより、今のコバルトブルーやエメラルドグリーンに輝く美しい“裏磐梯高原”が存在します。
しかし、かつてここに暮らす多くの人々が犠牲になったことを忘れてはならないのだと思っています。それは、この山の麓に産まれた野口英世が12歳の時のことでもあります。
二級建築士・インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリスト・照明コンサルタント・福祉住環境コーディネーター・
ふくしま家づくりマイスター。ハウスメーカー勤務を経て現職。
<森林、樹木と木の家SDGs講座>案内人。