KUMIKO便り

KUMIKOの番人が日々を綴ります

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2015年09月27日

☆お米☆

今夜は仲秋の名月。
明日28日は今年最大の満月『スーパームーン』ですから、今夜は今年最大の「十四番目の月」でもあります。

須賀川は昼頃より晴れてきました。
月の出が楽しみです。
KUMIKOの庭で里山にかかる月を見るのは文句なく美しいのですが、KUMIKOから須賀川市街地に入る前の田んぼと果樹園に挟まれた一本道から見る月もまた素晴らしいです。

お天気次第の滅多に見られない風景ですが、西に安達太良山が黄昏の藍色の空を背景に黒く浮かび上がり、東には白く輝く月。
えも言われぬ美しさです。
通過時間にしたら僅かに3分程ですが、運転することを忘れるほど感動的です。(アブナイ^^;)

今年は秋が早く、月にお供えするススキがもう穂が開いています。
色づいた稲穂も重たげに頭をたれて来月には稲刈りが始まるでしょう。
新米も楽しみです。

しかし私たちが祖先より命を繋いできたこのお米、実は日本人の年間消費量は昭和37年の118キロをピークに年々下降を続け、平成25年には56.9キロまで減っているそうです。

ということで、今日は文化人類学者の竹村真一氏(地球時代という視点から独自の環境活動を行う文化人類学者)とデザイナーの佐藤卓氏が2013年から企画してきたコメ展で表現してきた「お米が生む仕組み」についてお伝えしたいと思います。
(21_21 DESIGN SIGHT 企画展:コメ展)(2015年2月放送NHK「デザインの梅干」より)

「食」って人を良くするって書きますよね。
お米を食べる、お米を中心とした食生活は人を良くする仕組みなのだそうです。

ところで、お米って一粒から何粒できるかご存知でしょうか?
なんと、2000~3000粒だそうです。
つまり、毎年一粒が二千倍になる魔法ってことです。
ご飯茶碗いっばいが約二千~三千粒なので、その元手はたった一粒ってことです。

どうやってそれだけ増えるか。
それは、太陽エネルギー。
太陽の光と水と大地を取り込み、それが炭水化物になる。
それだけで毎年一粒が2000倍に増えるのです。

2000倍に増える太陽エネルギーをためる仕組みはどんなソーラーパネルよりすごい仕組みです。
私たちはあたりまえにお米を食べていますが、お米にパッケージされた太陽エネルギーを食べて体の中で燃やして元気になっていることを改めて認識するべきです。

今お米を中心にした和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたことで注目されていますが、この機会にお米は日本を更には地球の未来を作る仕組みでもあるということを見直したいと思います。

和食の基本の一汁三菜って、お米を中心にしてお味噌汁があり、ちょっとした健康的な野菜が添えられますが、この食生活の素晴らしさに最初に注目したのはアメリカ議会だそうです。

アメリカ人に成人病や癌、心臓病が多い原因が食生活だったそうで、その反対が日本食だということがわかったそうです。
40年も前の話です。

そして、田んぼ。
その美しい景観が日本独自の景観を生み出しています。
冒頭に書きましたように、田んぼの広がる風景には心に脳にストレートに伝わるものがあります。

日本は水が豊かな国と思われていますが、実際に降水量は多いのですが地形が急峻なので(中高で習った地図帳に載っている3D状の日本地図を見ると良くわかりますね)洪水が多く、したがって動植物の卵も流されてしまっていました。

つまり、古代の日本は雨は多いけれど住むには適していなかった。
それを変えたのは、水田です。

治水が大事な事は先の関東・東北水害でよくよく身に染みましたが、
田んぼが雨水を貯めることで雨のダムとなっていたのです。
その結果、洪水を防ぎ、環境が良くなり、生きものが増えたのだそうです。

田んぼを水がゆっくりと流れることで育まれた生態系。
日本の生物多様で、水が豊かな国は最初からあったわけではなくて人間が自然とコラボレーションした結果作られたのです。

日本の自然は人の営み(農業)と共にあることで豊かになったといいます。
お米を作ることで日本の国、日本の風景、日本の風土、そして美しい風景を作り、
人の手が入ることによって素晴らしい循環のシステムを人の営みと共に作ってきたのです。

米作りはこういう我々を取り巻く環境と、人が生きていかなければならないという現実的なことをうまくバランスをとりながら幾世代に渡って育まれてきた優れた仕組みのデザインといえます。
米をつくることを通じて、生物がたくさんいて、水もゆっくり流れるマイルドな気候の地球を作ってきたという意味で、地球を良くしながら食料を作るということを可能にしてきました。
だって、18世紀には世界で唯一の100万都市が江戸だったのですから。

ということは、それだけたくさんのお米をつくってたくさんの人が食べられる国を作っていたわけです。
江戸時代には食べた後には排泄してものをちゃんと田畑に還元してリサイクルしてサスティナブルな社会をつくってたのです。

お米つくりって連作障害がないってことも凄いことです。
あったりまえに先祖伝来の田畑という表現をしていますが、よく考えたらこれも感動ものです。
しばらく同じ作物を作ったら土地が痩せてきて必要な栄養分がなくなるのが普通なのですから。

それからもう一つ、農家の方が一生のうちにお米を作れるのはわずか50回だということにもちょっとドキッとしました。
もちろん、人それぞれの寿命がありますが、平均するとたったそれだけ。
しかも50回の中には雨が降らない時もあれば、台風の被害に遭うこともあり、どうもがいても人間の思うようにはならない仕事ですので、自然と寄り添いながら暮らしてくるしかなかった。ということがまた凄いことです。

お米についてのお話は今回はここまで。
稲刈りが始まりましたらまたお米の話しを書きたいと思います。
竹村真一氏と佐藤卓氏の話しはまだ続きます。

過ごしやすい季節となりました。
デッキに休むアキアカネの写真です。秋は茜色が映えますね。

生きてれば いいこともある 茜雲 (NHK文芸選評9/12)

素敵な秋を満喫してください。
では、またお会いしましょう。
ご機嫌よろしゅう。

福島の木の家KUMIKO番人より

※こちらは事情によりUPするのが遅くなりました。
月遅れでの掲載何卒ご容赦ください。