KUMIKO便り

KUMIKOの番人が日々を綴ります

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2013年02月21日

雛の笑顔に会えるまち

18日(月)は二十四節気の「雨水」でした。
ラジオのお便りコーナーにイヌフグリの便りが届くようになり、KUMIKO近くの陽だまりでは福寿草が咲き出しています。

時折雪も舞いますが、日の暮れが遅くなり、部屋に入り込む陽射しが週末毎に短くなるのを見ますと春が近いことを実感します。

ひとつき風邪をひきずっていたKUMIKO番人も、みな様方から沢山のパワーを頂き、お蔭様で元気になりました。
パワーをお届け下さったみな様、真に、ありがとうございました。

今、KUMIKOの建つ須賀川では、旧市街地の商店街55店舗で、九回目を数える「すかがわ商店街 雛(ひいな)の笑顔に会えるまち」展の真っ最中です(2月15日~3月3日)
江戸時代の雛飾りから現代の看板に描かれたものまで、様々なお雛様があちこちの商店やカフェに趣向をこらして飾られています。
須賀川市立博物館でも毎年恒例の雛人形展が開催され、街全体でひな祭りを楽しんでいるようです。

須賀川で、雛を「ひいな」と呼ばせるのにはちょっとした理由があります。
江戸時代、松尾芭蕉が奥の細道紀行中に須賀川宿には7泊8日滞在しています。
芭蕉を長逗留させることができたのは、須賀川に俳句の会を催せる文化と、滞在させることができる(懐の)旦那衆がいたこと、とか。

そんな土壌から生まれた女流歌人市原多代女が詠んだ
「目隠しを とれば雛(ひいな)の 笑顔かな」がこの「ひいなの笑顔に会えるまち」の所以です。
節分が過ぎて、箱からお雛様を取り出して飾る時に、お顔を包んでいた紙を取る時の様子が微笑ましい一句となっています。

須賀川の宿は太平洋から日本海へ、江戸から蝦夷への東西南北の交流地点であったことから、須賀川城が伊達政宗に落とされて以降、商人の町となりました。
今でも、物資や人の流通に欠かせない馬繋ぎ石が町のあちこちに残り、かつて近隣の米相場を決めたという「市」の神社が町の総鎮守にあることからも、往時の繁栄と豊かな商人達がいたことが窺い知れます。

お雛様には春が近い事を思わされますが、今日、友人のお誕生祝いで出かけた事務局近くのお店にも素敵な雛飾りがありました。

このお雛様には最近見ることが少なくなった、ぼんぼりと、橘・桜が対で飾られています。そんな飾り方にもお店の方の食材へのこだわりやサービスに対する真摯な姿勢が表れているようで、なお気持ち良く食事を頂くことができました。

余談ですが、事務局(郡山市)近くの橘小と桜小の校名は、この「右近の橘、左近の桜」が由来です。なんとはなし心惹かれたのはそんな理由もあってのことかもしれません。
雅なお姿に春を感じて頂ければ幸いです。

ついでに、目にも、舌にも春近しを感じさせてくれた素敵なお料理の2ショットを。
ほんと、美味しかったです!

お味はもちろんですが、お店の雰囲気、サービス共にお勧めです。
メモリアルな日にどうぞ。
「日本料理 開成 亀久田(きくでん)」024-983-8568
※駐車場は近くの県南酒販に5台分あります。

季節の変わり目です。杉花粉も飛び始めたようです。
今週も健やかで素敵な1週間となりますように・・。

福島の木の家KUMIKO番人より