KUMIKO便り

KUMIKOの番人が日々を綴ります

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KUMIKOの番人が日々を綴ります
2019年02月28日

あったかい家に住みたい

2月19日はスーパームーンでしたね。
夜空に煌々と輝いている満月を見る事ができました。

14番目の月

写真は一昨年より設計を開始した、引渡し直前のギャラリーです。
隣には同時進行で建設を進めてきたオーナー様のご自宅が建ちます。

昨年の8月より約7ヶ月かかって今月2棟同時に竣工しました。
KUMIKO独特のシンプル、且つ軒の出の深い屋根の上に登る満月前夜、14番目の月です。

「あったかい家に住みたいから建てるんです」とおっしゃったお施主さん。

引渡し前夜はここに19時近くまでいましたが、屋内は暖房無しでも21度あり、全く冷えずに作業ができました。
暖房(エアコンやストーブ)をつけなくても保てる暖かさ、気に入って貰えるでしょうか?

 

冬に人工的な暖房を多用しなくても温かい家は本当に楽です。
寒い夜に震えながらトイレに行き、ストーブに灯油を入れながらつくづく思います。

冬の我が家の朝、出勤時には3度程度です。
その寒い家を出て、数10分。
KUMIKOに着けば中は13~15度程度あり、この9年間毎週末温度計を見る度、その暖かさに感謝してしまいます。

遥か昔の話しですが、建築設計の恩師の言葉「部屋は15度あれば寒くない」が忘れられません。
以来、私の中では15度が分かれ目です。

断熱のしっかりした造りの家は光熱費も違ってきます。
電気や灯油を使わずに暖かく、涼しく過ごせたら一生の内どれほど光熱費が下がることか。

躰にも良いです。ヒートショックの起こる可能性の少ない家は健康寿命も延びるかもしれません。
茶の間を一歩出れば10度~15度も低く、ひっくり返りそうになる我が家では常に用心が必要です。

これは床・壁・天井に使われている杉の持つ断熱力と、木が由来の断熱材セルロースファイバーのお陰。
更にお施主さん達の住まいは外壁にALC(軽量気泡コンクリート)を使いますので、杉の下見板張りの外壁のKUMIKOよりなお暖かく過ごせます。勿論、夏は涼しく。

特筆すべきは太陽熱を活用する「そよ風」の力です。
屋根で受けた太陽の熱を床下に送り込むという、ごく単純なシステムなのですが、冬期間は特に足元の冷えが無いので助かります。
それらの様々な要因から、KUMIKOは床、壁、天井の表面温度が室温と同じな為、躰が感じる体感温度がより暖かいのです。

またまた我が家を引き合いに出しますが、畳もフローリングも外気温とほぼ同じ温度です。
つまり、外が3度なら5度位でしょうか?おそらく昭和に建てられた家の殆どが同じ状況かと思います。

因みに、KUMIKOは午後3時頃で薪をくべるのをやめてしまうのですが、夜も日中のぬくもりが残っていて、床温度は20度を越えます。
足元の温度差は体感温度に大いに影響します。
(赤外線放射温度計で定期的に測定)

災害級の暑さと言われた昨夏も、我が家は35度まで室温が上がり驚きましたが、KUMIKOは冷房をつけなくても29度くらいでした。
クーラーを使わずにこの程度ですからちょっとクーラーを入れ、扇風機を使えばすぐに涼しくなります。
本当に体が楽です。

お引渡し後にお施主さん宅に伺うと何はさておきあったかいとの言葉が異口同音に返ってきます。
冬でも20度は下らないとのこと。あったかい家が一番です。

 
さて、
須賀川の中心地からKUMIKOへとくる途中に紅梅の木があります。
2週間ほど前から咲き出しています。
今年は雪かきも1,2回しただけで、さほど寒くならない内に「雨水」を迎えてしまいました。
金沢でも平年の2割しか雪が降らなかったと、ちょうどニュースから流れてきましたが、
KUMIKOが2010年1月にopenしてから9年、こんなに雪の無い須賀川は初めてです。
温暖化を実感する冬の終わりです。

KUMIKOは山の木(日本)の出口となり、地球温暖化抑制に微力でも役に立ちたいと思っています。
山の木は温暖化ストップの要です。
今月より「ブログ嶋影健一の想い」を始めましたが、上司嶋影の最近の口癖は「2040年地球滅亡へのカウントダウン」の前に!です。
駄目になる前にできる事をしなければならない。
私達建築に携わる者は「地球環境・温暖化」を考えた仕事をしなければなりません。
冷暖房の多用は温暖化を促進させます。
建物の力で少しでも抑制できることを願いつつ、仕事をする日々です。

 

 

ところで、
先日「新・北斎展」に行って来ました。
入場50分待ちなどサイトにありましたのでオープン時間前に到着しましたが、すでに並んでいることに驚き、チケット売り場にたどり着いて行列用のロープに渦巻く人の波にまた驚き。でも、これが20歳のデビューから90代で亡くなるまでを東京で通しで見ることができる最後の機会とのことで、観覧者の人波に揉まれながら見て来ました。

20歳のデビューから次々と名前を変え、作風を変えていった北斎。
それぞれの時期にその時々の名前をつけてブースは6つに区切られていましたが、全てのブースで彼の執念を見せつけられました。

一昨年に小布施の岩松院本堂で天井絵「大鳳凰図」を見て来ることができましたが、21畳もの大きさの絵は北斎89歳の時の作です。
とどまるところを知らない上昇志向、高齢になっても大作に挑み続ける姿勢は、70年分を一気に見るとその迫力に飲み込まれそうな気分になります。

ギャラリーショップで葉書を求めてきました。
なんといってもこれ、富嶽三十六景 遠江山中。(写真左)
そして神奈川沖浪裏。(写真右)
亡くなる前年に書かれた富士越龍図。
しゅっとした富士、そして天に昇っていく龍、もうなんともいえません。

遠江山中・神奈川沖浪裏・富士越龍図

当会の代表も今年誕生日がくれば77歳になります。
北斎展の6つに分けた人生でいえばの最後の「画狂老人卍期」(!)となります。
しかし、89歳で江戸の葛飾より信州小布施まで旅をし、21畳もの大作を完成させた北斎を思えばまだまだ。

タイトルを「想い」より「吠える」としたかった「ブログ嶋影健一の想い」。
今月より連載を始めました。
これから、彼の建築にかける熱い想いを綴っていきます。
ご一読頂ければ幸いです。

冬から春への季節の変わり目です。
スギ花粉も飛び始めた様です。
どうぞご自愛下さいね。

では、また次回お会いしましょう。
ご機嫌よろしゅう。

福島の木の家KUMIKO番人より

 

ふくしまの木で造る木組みの家KUMIKO
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