KUMIKO便り

KUMIKOの番人が日々を綴ります

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KUMIKOの番人が日々を綴ります
2016年02月27日

須賀川一小新校舎

毎日朝ドラを見ては『思い通りにならない日は 明日頑張ろう♪』(NHK朝ドラ「あさが来た」主題歌)に飽きずにグッときているKUMIKO番人です.
ご機嫌いかがでしょうか。

空気がやわらかくなってきました。
立春を過ぎるとおひさまの光が格段に優しくあたたかく感じられますね。
KUMIKOの中で今日沈丁花が一輪咲きました。

須賀川中心部からKUMIKOへ来る途中に道の右に白梅、左に紅梅と、まるで鳥居をくぐるような場所があります。
紅梅は1月、白梅は今月から咲いていて春が近づいていることを実感します。
ここを過ぎればKUMIKOはすぐそこです。

「1月行く」「2月逃げる」「3月去る」の言葉どおり、2016年が明けてあっという間に2ヶ月が過ぎようとしています。
先日、建築士会須賀川支部で須賀川一小の新しい校舎を見学してきました。

東日本大震災のあの日、震度6強でゆれた須賀川は17校の小学校が被災しました。
特に一小は被害が大きく、校庭も河岸段丘のように大黒池に向かって崩れ落ちている様子が「須賀川市大震災の記録~あの日を忘れないために~」に生々しく載っています。

昨夏新しくなった校舎、体育館、プールはどれもフレッシュで、きれいに整備された校庭は土が真新しく、改めてあの不安な日々のことを思い返しました。

今までは仮設校舎や間借りだったため、児童数が震災前よりだいぶ少なかったそうなのですが、新校舎が完成したことで、今度の4月に入学してくる児童数がぐっと増えたと案内してくれた教頭先生が嬉しそうにおっしゃっていました。

新しい校舎はとにかくゆとりがあり、卒業からかなりの年月を経た建築士会のおじさんおばさんの面々は、かつての学び舎と大きく変わった広々とした空間の多いことに大いに感心してきました。

学年のクラスが並ぶその中央には学年全員が集まれる多目的スペース。
全校生徒が入れそうな広い特別活動ホール。
ここの吹き抜けのガラスには児童たちが作ったステンドガラスがはめ込まれてとても綺麗です。
ステンドガラスの向こうには須賀川駅方面がずっと下に見渡せます。
須賀川は坂の街ですので気持ちの良い眺めです。

桜は一小の校章のモチーフでもあります。

そして、特に設計者が位置と解放感にこだわったという図書室。
かつて奥まった場所にあるというイメージの図書室は、昇降口(なんと懐かしい響き)に隣接し、外には読書テラスと名付けられた外部空間まであって、広いだけでなく明るく開放的でした。

特記すべきは体育館の広さ。
この広さを確保するために頑張った先生方の熱い思いも伺いました。

一小はマーチングバンドの強豪校で県大会や全国大会にも出場しているそうです。
マーチングバンドは演奏に広い場所が必要なため、正規に演奏できる面積を確保したのだと力強く言っておられました。
確かに、試合会場はもっと広いのだと言われても、日頃狭い練習場で練習していたら本番にいきなり大きくはできませんものね。

そんな話を体育館で聞いて、かつて合唱部で放課後や夏休み毎日毎日練習を繰り返した日々を思い出しました。
残念ながら華々しく活躍した話ではありません。

練習に一生懸命通ってくるのに、選手?に選ばれなかった私。
それをよほど可哀想に思ったのか、ある日先生が「一日も休まずに通った事だけは偉い!」と、皆の前で褒めたのです。
褒められたって、大会に出られなければしょうがないと、切なさに涙が出そうになった番人でしたが
その時の教室や体育館の風景が、当時「努力って実らないじゃん!」って思った記憶と共に蘇りました。

話しが横に逸れました。一小に戻りましょう。

他にも、調理実習室のピンクの調理台や、パソコン室のデスク等、今時の学習環境の充実ぶりにみんなで感嘆の声を上げ続けてきました。
放課後の児童クラブ(放課後児童健全育成事業と言うそう)も今までは3年生までだったのが施設が整い、6年生まで受け入れられるようになったそうです。
保護者の方もでれだけ安心したことでしょう。

その月の広報須賀川に児童の感想が載っていました。
「全体的に木が多くて温かくて優しい感じが好き」
ここに嬉しくなった番人でした。

ではまた来週お会いしましょう。
ごきげんよろしゅう。

追伸
もちろん、努力は裏切りません。
今はちゃんとそう思える番人です。
ただ、全ての事は他者との関わり合いの中で動きますので、思い通りにならない事も沢山あることも事実です。
だから、歌詞の『思い通りにならない日は 明日頑張ろう♪』にグッときてしまうのです。よね。

福島の木の家KUMIKO番人より